2021/11/15
見えたのか?あったのか?
数日前の話ですが、雨は降っていないものの、曇天の日がございました。
事務所から外を眺めると、薄っすらと虹が見えたような気がしたのです。
「雨降ってないよな?」といったん目をそらして、もう一度、その場所を見るとやはり薄っすらとした虹がかかっておりました。
生まれたてのような、終焉を迎えるかのような、どちらともとれない儚さをまとった虹といった感じです。
「虹の終わりはどうなるのか?」と興味を持ったので、虹が消えゆくさまを見届けようと、しばらくずっと眺めておりました。
徐々に消えてゆくのは見て取れたのですが、今度は消えてしまったかどうかわからない。
おそらく消えてしまったのでしょうが、目にはいつまでも残像として残っているのです。
こうなると僕は、「もしかすると虹は常にかかっているのではないか?見えていないのではなく見ていないだけではないか」といったパラドックスに陥ってゆくのでした。
「寛容と不寛容」
日本が息苦しくなっている根柢にはまさにこのパラドックスによる支配があるような気がいたします。
母が等分に切り分けた誕生日ケーキを「こっちが大きい」「私のは小さい」と言い争うのは子供だから可愛げがあるのであって、
大人がすることではないでしょう。
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