お知らせ
2018/08/27

24時間の違和感・・・の巻

「24時間テレビ」ご覧になりましたか?

 

かく言う私は、かれこれ20年以上見ておりません。

 

チャンネルを変えた際に目にすることはありますが、見ようと思って見てはいません。

 

少なくともマラソンが番組の主となってからは見ようという気がしないのです。

 

24時間走ることを伝えて、果たしてどんな意味があるのか?

 

しかも番組である以上、芸能人としてはリタイアできないマラソンでしょ?

 

拷問ですな・・・。

 

番組として存続する意義はあると思います。

 

巷で言われているような、出演タレントのギャラや武道館の使用料、放送にまつわる様々な金額を考えると、募金額を遥かに超えるのでは?というような不粋な事を言うつもりもありません。

 

ただ、番組の構成がいつの頃からか、お涙頂戴となったのがすごく鼻につくのです。

 

チャリティー番組であるなら、単純に募金額にスポットを当てればイイと思うのです。

 

「さぁ、今年はいくら集まるでしょうか!!」「みんなで過去最高額を目指そう!!」ってなぜ誰も言わないのでしょう?(ごめんなさい。見ていないので分かりませんが、もしかしたら言っているかもしれませんね・・・m(_ _)m)

 

テレビ局である限りやはり視聴率偏重になっている気がするのです。

 

私が見ていた頃の24時間テレビはテーマが「世界的規模の飢餓への援助」「障害者へ車椅子、リフト付きバスを贈ろう」などのテーマがあったと思うのです。調べてみたらやはりその通りでした。

ちなみにこんな感じです。

「寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!」

「カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために!」

「アジア・アフリカの障害者のために」

「ストップ!ニッポン姥捨て時代!」

「この地球の未来は子供たちのもの」

 

こんな感じで、何を考えればいいのか、どんな支援をすればいいのかが、明白に打ち出されておりました。

 

それが、近年のテーマときたら

 

「START!一歩踏み出そう」

「人生が変わるとき」

「ありがとう、今あの人につたえたい」

「力、わたしは、たいせつなひとり」

「愛、これが私の生きる道」

 

・・・テーマがテーマでなくなり安っぽいポエムになってしまいました。

しかもテーマと呼べるかはさておきお題が「全体」から「個」へと変わってしまっています。

 

「わたしが、わたしが社会」を見事に反映しております。

 

先程も述べましたが、番組の存在意義は認めております。

 

ただ、「私」にスポットを当てすぎると、「その私」にしかスポットが当たらないのではないでしょうか?

 

公衆の電波を使って「私」を主張するのは芸能人だけでいいはずなのですが・・・。

 

スポットが当たらない人にもスポットを当てようというのがもともとの大義であったと思うのですがね。